バナナでも釘は打てる

柔らかく美味しいバナナでも、ちょっとした工夫で釘は打てます

読了 - 「Why型思考」が仕事を変える

地頭力を鍛える」「アナロジー思考」など考えることをテーマとした著書の多い細谷 功さん。

お気に入りの著者のお一人なんですが、その細谷さんが書かれた

『「Why型思考」が仕事を変える 鋭いアウトプットを出せる人の「頭の使い方」』が

たまたま目に入ったので買ってみました。

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思考にはWhy型とWhat型があり、本書では

Why型思考を一言でいえば「考えること」によって表面に見えない物事の本質に迫る思考のこと。

what型思考とは、深く考えずに表面に見えている物事のみを捉えて思考停止している状態のこと。

とした上で、それぞれの具体的な行動パターンを取り上げて両者の違い、Why型がいま求められている理由、Why型に変わるための取り組み方を掘り下げた内容となっていました。

そして何事にも「なぜ?」という問いを持つところがWhy型思考の人とWhat型思考の人の根本的な違い。

そこまで読んだときにどうしても気になったのが

「why型思考の人は『なぜ?』という問いに何故惹かれるんだろう?」

ということ。

「なぜ?」を突き詰め、本質を知ることによってメリットを享受した経験があるんでしょうか?

でも、それは「なぜ?」の問いを繰り返すことになった理由であって、最初に「なぜ」を問うた理由ではありませんね。

知的好奇心ですかね?

ここで先日読んだ「BRAIN DRIVEN」を思い出しました。

BRAIN DRIVENに沿って考えれば「知りたい」は脳が「何かの違い」を認識した結果でした。

知らないことを放置すると生命の危険につながる可能性がある。

だから「違い」の原因を探ろうとする。それが脳の自然な働き。

そうだとすると人間はそもそもWhy型思考で、What型思考は後天的に獲得したものということになります。

本書でも日本の教育システムについて触れられていましたが、基礎を教える学校教育の中で、教わった知識を記憶していることと、教わった公式を使う演算能力ばかりを評価するテストが繰り返されたせいだと言えるんじゃないでしょうか。

本当は、公式も含めて知識は入口に過ぎないです。

最初からあらゆることに興味を持てる人は多くないので入口としてのWhat型教育は必要なんでしょう。

でもWhat型で教えられるのは基礎に過ぎません。

基礎だけで乗り切れるほど世の中が簡単ではない以上、目の前で起きていることだけではなく、その先を考えるWhy型思考を取り戻すことは必要ですね。

ちなみに

本書の中で、自分の思考を見透かされたように感じたのがこの2つ。

  • 一つのWhyには複数のWhatが対応する。(中略)読者の中には、「逆に一つのWhatに複数のWhyの対応というパターンもあるのではないか」と思われた方もいるのではないかと思います。
  • Why型思考の人というのは、「いかに楽をするか」を考えていて、目の前に来た仕事を「やらずに済ませる」ことを考える…

ということは私はWhy型になるんですが、それほど周りに評価されてる自覚はありません。

で、その答えも本書にありました。

Why型思考の訓練として「それいらないんじゃないか?」は一つの有効な方法です…ただし、この「それいらないんじゃないか?」訓練には「使用上の注意」があります。

それは花火と一緒です。「危険ですから、直接人に向けないでください」

あ、直接人に向けてるわ。

「火のついた花火を振り回してるヤツ」と思われてるなら評価されないのも納得。

以後、気を付けます。