読了 - パンクする京都
新型コロナウィルスのせいで今は大変な観光地ですが、コロナが落ち着いたら、また「落ち着きのない」街に戻るんでしょうか。
観光庁で目標にしていた2020年で4000万人の訪日外客数は、さすがに無理そうな気に見えますが、数年前から大阪にも外国人観光客が増え、電車内のアナウンスなんかも英語、中国語、韓国語に対応し始めてますし、新潟でも外国人観光客がすごく増えています(H30の外国人延べ宿泊者数は対前年比28.4%増)。
経済的に厳しい地方にとってインバウンドによる経済活性化は大事な施策であることは理解できますが、その一方で、日本人がその土地に感じる魅力が消えていきそうな不安を感じます。
日本に興味を持って、楽しんでくれること自体は悪いことではありませんが、外国人観光客を受け入れるために「日本人にとっての快適さ」が失われるのは何か違うのでは?と思っています。
オーバーツーリズムの最先端ともいえる京都がどのように対処しているのか、あるいは対処しようとしているのかについて知れるといいと思って本書を読んでみました。
人々の生活の場そのものが観光の対象となっている
本書も指摘するようにオーバーツーリズムの問題とは、
- 観光とは関係なく生活している地域住民の暮らし自体が「見世物」化していくということの問題や不満
- 大量の観光客を受け入れても観光産業に関わっている人以外にはほとんど利益がないとなれば、地域住民にとっては「観光客なんか迷惑でしかない」
こういうことなんだろうと思います。
また、観光によって地価が高騰したり観光客向けの店舗や施設が増えることで、地域住民が押し出されていくことも無視しがたいです。
参考になる「祇園の取り組み」
オーバーツーリズムへの対処を探しながら本書を読んだのですが、これが正しいと感じたのは祇園の街の取り組みでした。
舞妓さんや芸妓さんが印象的な街ですが、祇園の人にとって祇園は観光地ではなく高級飲食店街。このため祇園の人は街全体で祇園の風情や顧客(お茶屋さんや割烹で飲食する人)にとって居心地の良い空間であることを守ってる。
そこに観光客は不要だというのが本音ではあるけども、共存を拒否しようとしている訳でもない。
ざっくりとまとめると、こんな感じ。
この考え方を祇園以外で応用するとすれば、
- その土地の地元民にとって譲れないモノが何かという意識を地元で共有する。
- 外国人や都市部からの観光客が求めているもの、つまり外から見た魅力を考える。
- 地元民にとって譲れないモノと、外の人にとっての魅力の融合を模索する。容易に見つかるものではないし、見つかっても永続的なものではないはずなので、模索は続ける必要がある。
こんな感じでしょうか。
観光客が溢れてない温泉の方が好きなんですけど、客が来ないと潰れちゃうんですよね。
その土地の魅力が観光客を惹きつけるのに、観光客が増えることが魅力を失うことにつながる。
ちょうどいいバランスを保つには、少なくとも街全体で取り組むのが必要そうです。
パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市 (星海社新書)
- 作者:中井 治郎
- 発売日: 2019/10/27
- メディア: 新書