読了 - 麹町中学校の型破り校長 非常識な教え
近年よく耳にする英語教育の早期化、プログラミング教育など日本の教育には違和感を感じます。
以前に買った本の帯で見た「英語が話せてもバカはバカ」(成毛眞「日本人の9割に英語はいらない」)の言葉は実際その通りで、中身のある話が出来ないなら何語で話せてもビジネスの役には立ちません。
またプログラミング教育も、昨今の注目が論理性や合理性よりもデザイン思考など論理以外のものに集まっているところを見ると、これからを生きる子供に慌てて教えることなのかと疑問に感じます。
論理的思考を身に着けることは大事ですが、抽象化やいろんなものの概念が分かってからの方が理解しやすいので、アートよりは後に伸ばすスキルだろうとも思います。
そんなことが気になっていたので本書を読んでみることにしました。
いま子どもを入れたい中学校ナンバーワン
本書の帯には、宿題、定期テスト、頭髪・服装指導、すべて廃止!!、と確かに従来の常識を否定する言葉が躍っています。
しかし本書に書かれていることを少しピックアップしてみると、
- 時代の変革期にあたって、ますます大切になってくるのは自分で考えて、判断し、行動できる力「自律」ではないでしょうか
- 麹町中学校の最上位の目標は「自律した子ども」を育てること
- 「人間はみんな違うし、対立が起きるのは当たり前である」「違いを乗り越えるためにどうしたらいいか」を教えています
- 学習習慣とは、必要に応じて「主体的に」勉強できる子どもになってもらうこと
- 大人の役割は「こんなオプションもあるよ」と、きっかけを与えていくこと
- これからの社会は出る杭だらけの社会。もしくは出る杭を尊重する社会。だから出る杭だらけの社会における身の振り方を教えるようにしている
- 多様性を受け入れる最初の一歩は、なにはともあれ違いを認識すること
- 親が意識すべきは、子ども本来の好奇心を奪わないこと
- 挑戦する意欲につながる心的安全をつくりやすい脳に変えていくために大人ができることといえば「失敗は悪いことではない」と教え続けること
これって非常識なんでしょうか?
確かに宿題や定期テスト、固定担任を廃止したりと、従来は当たり前のように続けられてきた教育のスタイルを変えたのでしょうが、本書に書いてあることは、むしろ当たり前のことです。
当たり前のことを考えて実践すると、従来の教育現場にとっての非常識になるのですね。
常識は前提が変わると通用しなくなる、それは恐らく誰もが知っていることでしょう。
でも、先頭きって変えていくのは勇気が必要。
幸い麹町中学校が先頭きったのですから、変化の乗り越え方を教われば2番手、3番手に続くのはハードルが下がるはずだと思います。
これから先を生きていくための教育
本書には
ひとつの分野で尖った大人に育てる
グローバル化の波が押し寄せる日本の産業界にとって、付加価値の高い人材を育てることは急務です。
と、教育者としての危機感が訴えられています。
その通りではあるのですが、大きな懸念もあります。
先週(12/8)の日経新聞の1面に「博士号取得者が減るのは日本だけ」と掲載されていました。
同紙によれば、この10年における修士・博士号の取得者数は、アメリカ・中国はいずれも2割以上増えたのに対して、日本は16%も減りました。
ダイアモンド オンラインの記事、日本で働きたい優秀な外国人が結局、来日しない理由 でも指摘されているように日本社会が成長しないと、学校が「尖った大人」を排出できても日本のためにはならないかもしれませんね。
子どものためを思うなら、会社にも国にも執着せず、自分が活躍できる場所を目指して飛び立てるようサポートするのが、良い教育なんでしょう。
ただ、改めて疑問に感じたのは「親も社会もどういう教育を子どもに施して欲しいのか?」です。
グローバル化だから英語教育、AIやビッグデータの時代だからプログラミング教育。
自力で生きていく逞しい人材ではなく、企業にとって使いやすい人材の育成を目指していませんか?
なんか違う気がします…